【劇団ピーターパン】

III


「メアリーよう、もうそのくらいにしときなって。
 ずいぶん飲んだろう。帰ってお休みよ。 
 悪いけど今日はそろそろ閉めたいんだよねえ」 

 だるそうに店主が言葉を投げてきた。ああ、もう2時か。
 しかし帰るのも億劫だな……。 


 今日は、なんつうか、くそったれな一日だった。
 小さくイライラすることが重なっていた。 
 たとえば今朝、恋人グレンが珍しく
 「この写真かわいいじゃん」なんて言うから覗きこんだら娘の昔の写真だった。
 死んだ人間のことを思い出すのは気が重い。 
 なにか食べようと思ったらパンが固くなっていた。
 低血圧のアタシはさらに低気圧と親知らずの鈍痛に見舞われ、
 トーストはガリガリしてまるで砂を噛んでるようにまずかった。
 
 いきつけのこのパブ「フライパン」(だっさい名前) で、
 アタシたちは今夜もたむろしていた。
 客待ち半分、諦めて飲みに入るやつ半分。 

「リンダは?」 
「とりあえず薄いハイボールで様子見るわぁ。アンタは?」 
「ん……ビールで様子見」 
「ビールで様子見もないでしょうが。まったく」 
「じゃあアイリーンはどうなのよ!」 
「私ジンジャーエールでいいわ。すぐ出るから」 
「なんだって!」 

 アイリーンは仕事終わりの恋人が迎えに来て11時に退席。
 しばらく一緒にいたけどリンダは1時に、サンディも1時半に、
 まあまあいい男を捕まえて出ていった。 
 一人もアタシを選んでくれないってどういうことよ。
 サンディは同い年なのにアタシより3つは老けて見えるし、
 リンダは化粧濃すぎで素顔と別人じゃないか。


「そこのあんたもそろそろお開きにしてくれんかね」 

 マスターが声をかけたほうに目をやると、見たことのない女がいた。
 アタシより一回りくらい若くて、娼婦だろうけどちょっと身綺麗だった。
 やな感じ。 

「ハァイ。じゃあお勘定お願いするわ」 

 気だるそうな素顔の上から甘ったるい声と化粧を振りまいて、
 一応娼婦なんかやるならこうしないとね、とでも言わんばかり。
 腹立つ。遊びで娼婦がつとまると思って欲しくない。
 
「ちょっと、あんた。見ない顔だねぇ。名前は?どっからきたのよ」 
「メアリー!からむもんじゃないよ! 
 ああお客さん気にしなくていい。
 お代は10ポンドだ。早く行ったほうがいいよ」 
「はい、10ちょうどね。ごちそうさま」 
「シカトすんじゃないよ!」 
「何よ、うるさいわね。今日はたまたまよ。待ち合わせでね」 
「あん?」 

 カラコロン、と申し合わせたようなタイミングでドアベルが鳴った。 
 入ってきたのは四十路がらみのメガネの色男。
 背が高くてこちらも身綺麗だ。
 ハットを外して女を迎えると、女は甘えた声をだした。ああうざったい。 

「すまないニーナ。待たせたね」 
「エミール!待ったわよ、もう。
 なんだかヒステリーなおばさんにからまれちゃって」 
「喧嘩売ろうってのかい?」 
「お客さん!メアリー!勘弁してくれよ、ほんと」 
「おいニーナ、酔ってるのかい。失礼だよ。 
 マスター、ミセス、ご迷惑おかけして申し訳ありません。
 もう僕らは行きますから」 

 男は深々とかつ優雅にお辞儀をし、女の手をとってしずしずと出ていった。 
 静かになった店内にはひとりぼっちのアタシとやり場のない憤慨だけが残る。 

 ああもう、くそったれ。


  




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